ヒラキ ナオル

日々全出 アニッチャー 

聖地巡礼 其の壱

2017年11月

目まぐるしく世界が変わってゆく

新たな体験が世界を広げていく

 

11月3日文化の日、この日から約1一月間尾張名古屋の町中を使って色んな文化芸事を披露するやっとかめ文化祭にボランティアとして参加してみた。

この祭、前から気になってはいたが行政主導のやり方にに微妙な距離感を感じていた、が大名古屋大学、学長に就任したヤマタクを切っ掛けにココにつながる。

思えばこれも日置神社から始まり、橋の下、森道、とマツリを巡り掘り下げればいろいろなご縁が繋がって導かれている、改めて人生とは本当に不思議な物語だ。

さて、初日はオーストリアグラーツから来た2組の話。

これはユネスコが名古屋をデザイン都市として認定しているところから始まっているのだが、このユネスコと都市との関係性が中々面白い。ユネスコの事務所は行政機関の中にあるのだが、やっていることは民の視点での文化を見つめ、活動している。さらっと見る限りハードとソフトが入り混じった機関のようだ

実際にユネスコにデザイン都市として認定?されたグラーツではデザインフェスタを実行し金銭的にも文化的にも結果を残している。保守的な街でのデザインを通した攻めの文化戦略都市計画の実例から学ぶ。

その中でも気になったのが庶民の記憶、都市の記憶と題して民衆の築いてきた文化に光を当てる例だ。

行政主導で進むとどうしても伝統文化、ハイカルチャーといわれるものだけを文化と取り上げる傾向がある。がこれは保守の部分で築かれた文化であるので、どちらかといえば護りの姿勢での文化行事になりがちだ。これはこれで悪くはないのだが、問題は更新していかないことだ。

この後某料亭で芸子遊びの会にも参加したが、これは完全に特権階級の遊びであってある意味で時間が止まっている。体験としては面白いが、正直身銭を切ってでも参加しようと思うものではなかった。はっきり言うとこれは税金を使っているからできる(人の金だからできる)遊びだなと実感してしまった。

リアルタイムの文化とは常に変化し生まれ続けている。

外から見ればアンダーグラウンドもオーバーグラウンドも同じである。

消費する文化と育てる文化。行政がどの姿勢でいるか、この違いはとても大きい。

しかしそういったモノに対して殿様が価値観を見出すことができないと、その町で文化は価値は無いものとされてしまう。そこに切り込もうとするユネスコの姿勢は中々頼もしい動きでもある。と

完全に内部でも外部でもない機関だからできる事なのだろう。

ここで面白いのは結局このカンファレンス自体が行政に向けて行われているということだ。町つくり国づくりの話は掘り下げていけば必ずそこにぶち当たる。

人生の質、文化の多様性を高めるには、どうクリエイティブにかつスムースに世界を美しくしていけるかがとても重要になってくる。ここでデザインという思考が浮き立ってくる。

問題の根底にはこの2分化した世界。管理する側、される側のせめぎあいの話があるが、彼らに文化を大切にする意識や行動、その新しい価値観を都市のDNAに組込む必要がある。といった話やそれを前提に具体的に行政側には嫌われてでも前例を作っていくといった、攻めの姿勢。多くの人を巻き込む仕組みなど学ぶことが多かった。

その他ホームレスチャンピオンシップや24hクリエイターバトルなど有名無名問わず参加できるぶっ飛んだ企画もあって、中々骨があっていい祭りのようだ。

グラーツ、気になる町がまた一つ増えた。

 

 

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