ヒラキ ナオル

日々全出 アニッチャー 

聖地巡礼 其の弐

郡上八幡へ仕事で行かない?との誘いがあった時に既に何かが起きている予感がしていた。郡上八幡は郡上踊りを始めここ数年何かとつながっている場所だ。何やら縁を感じずにはいられない。

郡上は尾張名古屋から越前街道を北上した美濃(岐阜県)の中央辺りにある小さな城下町。今では東海北陸自動車道という有料道路のお蔭でずいぶん近づいたが、20年ほど前はずいぶん苦労して辿り着いた印象の地であった。

儂がまだ高校生の頃は名古屋から最寄りのスキー場でスノーボードができる場所も少なく、可愛がってくれていたパイセンに連れられわざわざ白鳥高原まで毎週末のように通っていた。詳しくは覚えていないが当時は5.6時間はかかっただろうか、

郡上はその白鳥のちょっと南下したところにある。決して便利とは言えない、むしろ辺ぴな土地であるこの地名を再び聞いたのは2011年3.11で名古屋に戻ってからなので6年ほど前からだろう。

昔からうっすらと噂に聞いてはいたが当時は琴線に引っかからなかった”郡上踊り”である。 8.9月の間に約2カ月間ほぼ毎日集落内で毎夜踊り続けるある意味で超人的盆踊りだ。中でも徹夜踊りと云われる4日間は朝まで踊り続ける。

何より素晴らしいのはお囃子を演奏、唄い続けるご高齢の先輩方の技術とスタミナである。この長丁場の祭りをわずか10名程度の町人が回しているのだ。しかも涼しげな表情で。これは並みの鍛錬、気合ではない、、

字幕入り『かわさき』完全版 郡上八幡・2012徹夜踊り最終日 - YouTube

この聞いただけでも素晴らしい祭りは実際参加してみるとさらに感動的であった。トランス状態になった浴衣姿の老若男女が雨が降っていようとも夜通し踊り続けるのである。野暮なはずがない。

3.4年ほど前に初めて参加してからは根がぱーりーぴーぽーの儂は毎年足を運ぶ場所になっていった。河原ではキャンプインして参加する数寄者同士の繋がりも素晴らしい出会いであった。

縁あって郡上の若手達が始めた八祭に参加したこともあって有難いことにマツリを通して人との繋がりも広がっていった。

郡上の歴史に詳しい方によると、どうやらこの郡上の町は外から来たモノを受け入れやすい土地柄らしく祭りのお囃子始め、色々な文化がここに流れ着いては継承されていくらしい

これはMedium Areaの業というのか、宿命であろう。日本という極東の地で世界の文化の受け皿のような地にあって中部地方の更に真ん中、美濃地方のど真ん中にある町である。

この地の利を見たときに何らかを拒否して生きながらえる事は困難であると推測できる。日本海側からも太平洋側からも常に人と文化が流れ込んでくる、日本の中心でもあるこの地は常にmediumな状態でもある。

mediumは中間や媒体など「間にあるもの」や「媒介するもの」を指す。その他にも(芸術などの)表現手段や巫女、妥協点といった意味合いを持つが、どの性質も中間層には必然とされる要素である。

中部地方で育った儂もこのmedium zoneの宿命といったことを常々意識するが、魅力がない、中途半端といったネガティブ要素に目が行きがちだが、これは完全に欧米主導のネガティブキャンペーンなので、裏を返せばそれだけこの事実に目覚めてほしくないといった意図が見える。

本来、これは地の利でもあり、土地の特性でもある故に非常に重要な役割でもあると捉えることができる。それは東西南北から集まってきた人々の波動を集め、文化の点と点を結び、人と宇宙、天と地を結ぶ役割である。

そしてこの地、郡上八幡ではそれをお囃子と踊りという芸術の表現手段で体現しているのである。これは日本ないしは人類においても一筋の光でもある。

長くなってきたので一つだけ追記していこうと思う。

それは江戸時代に唯一成功したと云われる郡上一揆のことだ。

農民が一致団結し政府の首脳部までも罷免した百姓一揆である。この歴史には教科書には乗らない裏がある。

庶民の文化は教科書や歴史には残らないが、実は綿々と人々に受け継がれ現代に残っているのである。ここで前記の都市の記憶、庶民の記憶という言葉が戻ってくる。

何故この時代に同時多発的に起きた百姓一揆が次々と幕府に封じられる中、この郡上の地だけでそれが成功に至たったのだろうか?(成功とは罷免した成果を残したという意味。実際には藩主から農民まで、一揆にかかわる人すべてが処分を受けた)

それは団結力であろう。

郡上を北上すると白鳥という集落がある、町では郡上よりビートが少し早くなった白鳥徹夜踊りが行われているが、神社ではお囃子の無い、唄と足音だけで踊る拝殿踊りが行われている。木製の拝殿の上で鳴らす足音が地を浄化すると云われている。ここまで来ると儀式になってくる。町で行われる男女の営みの部分は消え、祈りの要素が強くなってくる。

驚いたのがさながら宇宙DISCOの様な光の演出、踊りの輪の中心に浮遊するキリコの存在である。これは何ゆえか!!と解せないモノに萌える性分故に氣になってしまい、色々と聞き歩いたところどうやら、この踊りのルーツは天と地を結ぶ儀式の流れであることが分かった。

キリコは星が輝く様子を表していると説明を受けたが、暗闇で浮遊するサイケデリックな光と地上に伸びる光の柱は儂にはUFOにしか見えない、、

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この辺りの踊りには祈りや天との媒介といった要素が未だ残っている。

この信仰心の源が集落の西にそびえ立つ霊山、白山の山岳信仰だ。

そしてこの白山登山道の入り口であり、白鳥踊りのルーツと云われているのが石徹白(いとしろ)だ。

石徹白は平安時代から鎌倉時代にかけての白山信仰が盛んな時代には「上り千人、下り千人、宿に千人」と言われるほど修験者の出入りで栄えた土地であり、近世(明治)まで神に仕える人が住む村としてどの藩にも属さず、年貢免除・名字帯刀が許されたところ

ここには現在の日本の支配体制とは真逆に近いことが起きている。

この辺りには平家平や平家岳など平家の足跡がたくさん残っているのも注目すべき要因だろう 。

そして、友人に進められ参拝した白山中居神社のこれが本物だという感覚、

白という名に導かれ流れついた熊野の地、究極の表現を目の当たりにした友人の死、

次回に続く、、