なにゃどらや
謎多き文化の残る岩手イーハトーヴォ。この旅はより深く賢治の見た世界へ
ナニャドラヤの存在を知ってから5年が経つ
3.11以降何かに導かれるように毎年北海道や東北へ行くことになっている。
最初の目的は薬草酵素を開発、生産するために毎年夏になると北海道へ行っていた。
この話は長くなるので別に記するとして、行き道は福井県の敦賀から苫小牧行きの船にバイクを乗せ、帰り道を名古屋までバイクで南下することにしていた。
思い起こすと3.11があり直ぐに名古屋へ避難、その後東京の住いの後処理をする為に戻った時、あと何年東北に立ち入ることができるのだろうか、、と考えていた。
お金もない放射能も避けたいと考えた末長野の志賀高原でしばらく住み込みで働くことにした。そこで一度離れていたバイクの楽しみを知る。同じ職場で働く先輩から2万円で譲り受けたsuzuki voltyに乗ってそのまま東日本を巡る旅が始まった。
その時は越後の芸術祭から長野で行われたONENESS CAMPへと流れて行った。
そこで東方の文化の奥深さに触れることになる。
Instagram post by IJT aka パカッ太 • Aug 28, 2012 at 11:46am UTC
越後トリエンナーレで出会った”車座おにぎり”
これは自分の今の活動に多大なる影響を受けたある意味で衝撃的な体験であった。
これは芸術祭運営本部の唯一の企画であり画期的な表現でもある。
米どころ、魚沼コシヒカリの産地でもある十日町でゲリラ的に始まる車座おにぎり
地元のおばちゃま達がお結びを握ってくれ、そこにたまたま居合わせて人達に御馳走してくれる。
そしてそのお返しを何らかの形で返してほしいという企画だ。
歌う、踊る、手伝う、宣伝する、後で何か送る、募金する、何でもいいから表現してくださいというシンプルな企画なのだが、そこでとっさに何が返せるのだろうか、、と皆迷う。
お金であれば、おにぎりの値段相応のお金を渡すことで自分自身何とかつじつまが合う?というか、納得できるのだが、この体験、おもてなし、感謝の気持ちを金額に表わすことは非常に難しい、、今まで金額ありきで欲しいものにお金を払うことに慣れてしまっている我々には、ペイフォワード(贈与が先行する経済)の初体験は脳がフル回転するのがわかるほど真逆に近い価値観の変容が起こる。
車座になり順番に発表するあいだ、どうしよう、何しよう、、おにぎりが130円として、、物々交換だったら何があるかな、、等と考えまくっているのがその場に居合わせたみんなからも伝わってくる。
何にしようかさんざん迷った挙句儂は、じゃ明日から手伝います!といって結局その日から1週間ほどボランティアで芸術祭に関わることになり、今度は車座をもてなす側になった。
これは素晴らしい体験だったので、後日名古屋でアースデイをやった時に”車座お結び”という企画をやらせてもらった。正直成功とは言い難いが、体験した人からはいい声を聴くことができた。
こへび隊といったボランティアを受け入れる体制も素晴らしく、ふらっと行った儂みたいなモノも受け入れてくれるのだ。廃校になった学校でみんなで寝泊まりしながら食事をして芸術祭に関わる。旅人にとっては最&高の受け入れ態勢である。
放っておいたらいつまでもいてしまいそうなほど居心地のいい空間であった。
この時芸術監督をしていたのが北川フラムさん。
この人の、人の気持ちの細部にまで気配りするきめ細やかさには驚いた。
4年に1回の芸術祭として行うだけでなく人と人の関係性を構築していく為の仕掛けが沢山
裏側で行われていた。
Instagram post by IJT aka パカッ太 • Aug 28, 2012 at 11:45am UTC
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