スキッパです。改めましてよろしくお願いします。
先日、小学生以来の差し歯であった前歯が抜けた。
これを期に久々のブログの再開しようと思う。
思えば3.11前後で僕の生き方は180度変化した。
3.11以前の僕はこの社会システムから外れたところで生きる術を模索していた。
3.11当時は流れ着いた西東京は武蔵野の地、吉祥寺という街で自分の能力と日々の喜びを物々事々交換しながら、バイトしながら陶芸教室に通い1万前後の家で共同生活をするといった形で日々の創造と日常を行き来し、今思えば浮世離れした生き方を模索する日々であった。
(江戸生活期はそれはそれで色々な経験をさせてもらったので又別途記事を残そうと思う。)
僕は小5の時、10歳前後と割と早い段階でこの国の社会システムに対して見切りをつけドロップアウトしていた。幼少期から向き合った社会に対して僕の選んだ生き方はそのやり方が最善であった。
(この幼少期の目覚めも後日記するつもりです)
それまで僕は江戸という土地からのエネルギーを得て、洗練といった言葉に現れるような、ある種の削ぎ落とす文化の中で自分にとって必要のない思い込みや能力を削ぎ落としてきた。
貧乏生活の傍ら、瞑想や菜食、断酒、断煙、断性といったものと出会い、無駄なモノを次々と手放していき、荷物も家も最小限で生きられるような生き方を模索していたのだ。どんどん身軽になっていく自分はこれからどこへ向かうのだろうか、、
そう思っていた矢先3.11が起きた。
正直この国がこうなる事は、多少予測はしていたが、思った以上にひどい状態である。
情報が交錯する中、真実を求めネットを探るが知ったとて事実からは絶望感しか生まれない。
この国の行方は知れば知るほど絶望しかないのだ。
しかし幸いにも、東京という小さなエリアで活動する人々が混ざり合う地では、無自覚ではあるが多くの仲間と情報や知恵を共感するネットワークが形成されていた。
その大切さに有事があって初めて気付かされたのだ。
絶望を共感できるというコトはある種の希望でもある。
最初の雨は避けた方がいい、、そんな情報が仲間内で流れると、居ても立っても居られなくなった僕は次の日にバイトを辞め、ひとまず数人の友人と共に実家のある名古屋に戻った。
厳密には2日後には東京を離れ名古屋に戻ったのだが、寝ずにネットに張り付いて情報を収集していたそのころから、思考先行型の行動原理に限界を感じ、直観先行の型行動原理に切り替えなくては生きのびられないと感じていた。
色々な情報を得て真実を知ったとしても、結局は脳を納得させているだけに過ぎず、そうこうしている内に状況は刻一刻と変化し悪化しているのだ。
津波の圧倒的な力に人間は成す術もなく、逃げきった者だけが生き延びる事実を突き付けられたのだ。それは放射能も同様である。
簡単に言えば直観を信じ行動して、それから考えると言う事なのだが、言葉で言えば簡単なことだが、現代の日本社会はそのように構成されていない為に、この生き方を貫こうとしても社会では中々通用しないのである。
3.11以降、久々に舞い降りた尾張名古屋の地ではこれまでの自分の生き方では社会に対して接点が少なすぎる為、行き場、生き場が無いことに気付いた。
そこで3.11をきっかけに気付いたこの生き方を試行錯誤し模索する日々が尾張の地で始まったのだ。
これは正しくオワリのハジマリである。
色々な事を直観的に行動してきたが、そもそも記憶する事をあまり重要視しないで生きてきた為、時間軸や記憶が飛び飛びになり前後関係がよく解らなくなってきたので、今後は今までの活動を明確化する為にも、思考の整理整頓の意味も踏まえ再び文字を残そうと思う。
ざっと見ても3.11以降僕の目の前に起きた事は
- デモから始まり選挙選対活動~助成金を使った社会活動への流れ
- 祭、祀、政 本来のマツリゴトとは??
- 薬草に始まり、醗酵の研究、酵素の開発
- 中国との縁、北海道との縁
- 東日本遠征と東日本のマツリ文化との出会い
- 問題定義のARTと問題解決のDESIGN
- 巻き起こるセレンディピティ
- 消えゆく伝統文化と土着的感性
- 言葉の限界と可能性
- バビロン大国への旅と気付き
- 社会性と個人性、公私の共通性
など、こんな感じの事が目まぐるしくぐるぐると目の前で巻き起こり始めている。
一見共通性の無い出来事が連なるがどれも直観に導かれたのは確かだ。
何処に向かうかは神のみぞ知る、、
何にせよやってみなけりゃ、言ってみなけりゃ解らない事の方が多いのは確かだ。
NOW or NEVER!!
杉並区信光寺