聖地巡礼 其の四
あの男が逝ってから2か月が経とうとしている
彼のとの距離は彼が死んでからいっそう近くなった。
陽介との出会いは何時だったろうか、、記憶にあるのは今はなきdecibelでかむあそうトライブスのliveの時だった気がする。突然息子と現れた彼はパフォーマンスともliveとも言えないまるで日常的にやっている儀式のようなことを息子と始めた。
ジャンベを叩きながらお経のようなものを唱えたり、息子の発する、衝動的な叫びや歌に
音に乗せるようで、気づくと音に乗っていたり、無垢で無為の行為に合わせているのか、合わされているのか、突然お面を付けて踊りだしたりして息子とのステージ上でのインプロ即興演奏だった。
その後尾張日置神社でマツリゴトを開催することになり彼の奉納の舞を何度か触れることになる
何かふとした時に彼の思い、面影がよぎる。これは決して感傷的な思いではなく、思いと同時に気合いが入ると言っていいのか、こっち側がアクセスしようとすれば何時でも常に彼からのエネルギーが届いてくる。そんな感じだ。
これは安富歩さんが語るマイケルジャクソンの思想と同じ現象だ。
以下では語っていないが、人は何で出来ているか?と問われたときに細胞の集合体であるという答えがある。しかし厳密には細胞をただ集めてだけでは人間にならない。細胞と細胞の関係性が成り立った時に初めて人間の肉体、物質は成り立つのである。要は関係性がこの肉体ないしはこの地球をこの状態に成り立たせているのである。
彼の行為は関係性の種を蒔きつづけていた。
数々の彫刻は観る者との関係を作り、晩年は肉体のパフォーマンス、移動という形で表れていたように思う。
その結果は皮肉にも彼の死と共に形になった 。